2011年11月30日水曜日

インターネットのこと。

十一月二十九日の夜にミュージシャンの小沢健二がUSTREAMで
生配信をするというニュースが前日くらいからネット上で流れた。

ぼくは大学時代から小沢健二のファンである。
店名に小沢健二のコンサートタイトル(ひふみよ)を冠するほどのファンであるBook&Cafeひふみよさんにて
ひふみよで小沢健二のUstream生配信を見る会」が開かれることが当日決まった。

相変わらず仕事をしていたぼくは時間ギリギリに着いて、
参加者は五人たらずという実にそれらしい人数で、
手作り感満載にセッティングされた映写機がBook&Cafeひふみよの二階座敷に座っていた。

「これから始まるんだ」とワクワクしながらこたつに入ると、
ニューヨークの小沢健二から「マイクチェック!」の声が届いた。

「おお!」とそわそわしていたら、彼の姿がちらりと映り、じきに屋外の風景がしばらく続いた。
「アクシデントかな?」とそれでもワクワクしてモノクロの風景を見続けていたら、
風に吹かれながらマイクを持つ小沢健二が映った。

彼は困ったなあという表情で、
自分のwebサイトがパンクしてしまったこと、
実は来年三月からの東京コンサートについての情報をwebサイトにアップすることで
見ている人たちと共有したかったのだが出来なくなってしまった、
でもここで語るよりも後日webサイトでコンサートについての文を読んでほしい、
今日は残念だけど何かは渡せた気がする、というようなことを語った。

そのままUSTREAMは十分ほどで終わった。

歌もないままUSTREAMが終わって「あれ?」という感じではあったのだけど、
実はぼくはそんなにイヤな気持ちにならなかった。

一夜明けて「何でだろう?」と考えていたのだけど、
今年のひふみよライブ以来、ぼくらは同じような地平で立っている感じが続いているからのように思えた。
彼が高い所にいて、ぼくらはその下で歓迎するという高低差をひふみよライブ以来感じなくなった。

音楽シーンに登場しなかったり、毎年ツアーがなかったりしても、
小沢健二は地球のどこかでご飯を食べたり本を読んだり音楽を聴いたりして彼は彼であり続け、
ぼくらはぼくらで同時代に生きている。

彼が歌で、弦で空気を震わせようと思ったときに、
幸運であればぼくらはそれを受け取ることができる。
たまに出会う友人のように。
世界の裏側にいる友人からはるばる手紙が届くように。

そんな気持ちを今年のひふみよライブでなんとなしに得ていたあとで、
昨日のUSTREAMはなんだかしっくりくるものだった。
サイトがパンクして上手くいかなかったけれど、
地球の裏側から届いた葉書が雨で染みて上手く読めなくても「ああ、元気でやってるんだ」と思えるように、
昨夜のUSTREAMはぼくに何かを届けた。

インターネットは正でも邪でもなくて、
「何かを共有したい」という地平に立っている同時代のぼくらにとって
大切になりうるものなんだなとしみじみ思った。
地球の裏側から届く一枚の葉書で、心をあたたかくできるように。

昨日のUSTREAMはニューヨークから届いた一枚の葉書でした。