2012年12月25日火曜日

八百年前から歌っていること。


夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢

何気なく開いたサイトの片隅の名言欄にこんな和歌が載ってた。
詠み手は小笠原長行で明治の辞世の句。
恥ずかしながら何を成した人か知らないけれど、
『ただ狂え』のように人は何百年も前から同じことを歌ってるんだと思った。
生きるって何だろうって。

*    *    *    *    *

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

そういえばずっと気になっている詠み人しらずのこの歌は
室町時代の『閑吟集』によるそうなのですが(読んだことがない)、
その序文がまた素晴らしかったです。
以下紹介サイト『風薫る道』から。

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(引用始)
編者は序文で自らを「ここに一狂客あり」といい、本名を明かしていません。
この序文がまた美しい。
「小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。
風行き雨施すは、天地の小歌なり。
流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり」
「命にまかせ、時しも秋の蛍に語らひて、月をしるべに記すことしかり」
(引用終)
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自分と世界とをフラットに捉えている八百年前の日本人に
今のぼくがとても共感するのが不思議でもあり、心地よかったり。
歌と風や水や落葉は同じものだという視点をもつ編者、
小さな世界にとどまることなく「狂え」という振り切った表現にたどり着く詠み手。
どちらも素晴らしい。

十二月二十一日にネオンホールでおおはた雄一さんのライブがあり、
とっても素晴らしかったのですが、
おおはたさんのライブでぼくがいつも密かに楽しみにしている曲が
かまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』です。

この曲は本当にかっこよくて
かまやつひろしもおおはたさんもどちらも素晴らしいのですが、
今日たまたま『閑吟集』について考えているときに
そういえばと『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の歌詞を思い出しました。

こんな歌詞です。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう

人は何百年も前から同じことを歌っている。
小笠原長行の辞世句から閑吟集を渡り、かまやつひろしへ。
人は愚かなことを繰り返して、愚かなままに生を歌っている。
良くも悪くも。
そんな当たり前のことを思う日。
でも、今日はいい日だ。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』
https://www.youtube.com/watch?v=O2VP_FMjUAk

2012年12月18日火曜日

絶望するにはまだ早い。


十二月の衆議院選挙について書き残しておこうと思います。

テレビの報道番組で自民圧勝の数字を見た瞬間、スッと血の気が引いて視野が暗くなるのが分かりました。ああ、人間は理解しがたい怒りに陥ると本当に血の気って引くんだと妙に納得している自分がいました。
予想はしていたとはいえ、やはりショックでした。ぼくが暮らすこの国は辛い経験から教訓を得て前に進もうとするのではなく、辛いことはまるでなかったかのようにする社会なのだろうかと。

でも、ぼくは一つのことを思い出していました。
選挙前からぼくの周りで十代の友人たちが「選挙権がなくて悔しい」と発言していたことを。それはぼくにとって大きな驚きでした。ぼくは十代のときにそんな風に考えられなかったし、そんな風に考えられる人たちが生まれつつあるんだと。
主義主張で政治に参加したいのではなく、今の状況をフラットな視点で見て、「これはおかしいんじゃないか」と思う十代たち。ぼくは今回の選挙結果やそれを支えた団塊の世代たちに絶望してしまったけれど、その絶望を今の十代に引き継がせちゃいけないんじゃないだろうか。絶望するにはまだ早いんだと。

そんなことを考えて眠れない選挙当日の夜に、十五歳の友人からメールが届きました。彼女も憤りで眠れないらしく、ぼくたちは深夜のメールを交わしました。本人から許可を得てメール内容を掲載します。メールの内容よりも、こんな風に思っている十代(きっと少数派だろうけど)の空気感が伝わるといいなと思います。今の社会は十代からはこんな風にも見えたりするのだと。

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十五歳:稲田さーーーん!(泣)

稲田  :どうした?

十五歳:もう選挙終わっちゃったけど、選挙権欲しいっす。

稲田  :だよねー。気持ち、とってもよく分かるよ。
ぼくも今回の結果は呆然とするくらいショックでした。

十五歳:私もですー!十五の子どもがあまり偉そうに言えないですけど…原発のことも憲法のことも、国民投票とかで政策がそのまま実行されないとは思うんですけど…。
でも、ああいう政策がスタンスな政党が与党になっちゃうのが嫌なんですー!地震あってからまだ二年もたってないのに、何で自民党圧勝なんですかねー。

稲田  :ぼくも全く君と同じ考えです。東日本大震災から初めての衆議院選挙なので、国民としても「これからぼくたちはどう生きていくのか?」の意思表示をする選挙だったのです。原発であったり、税金の使い方だったり。
それが、今回の自民圧勝から伝わってくることは、この国の人々は「被災地のことより雇用や経済効果を、原発の問題より自分たちや企業が安価に使える発電システム」を選択したということです。信じられない。いったい、あの震災から何を学んだのかと呆然としました。
でも、唯一の救いは君のような十代の人たちから「これはおかしいんじゃないか」「選挙権がなくて悔しい」という声がちらほらと聞こえてくることです。
ぼくたち選挙権を持っている世代は君たちが二十歳になるまでにせめて今よりましな社会環境に整え、君たちを迎え入れることが大切だと思いました。こんな現状にうんざりするかもしれないけれど、選挙権を得る日まで社会に絶望しないでね。ぼくたちもがんばります。

十五歳:絶望はしませんよ。ただ、堂々と反論できる知識と力を早くつけたいと思いました。んー、復興にもお金が必要なのは確かですけど、経済の「成長」よりももっと急がなきゃいけなかったり、大事にしなきゃいけないものがあるのに…。
自民党を支持した人の半数が望んでいる「景気の回復」っていうのは、震災のことを考えると、冷たい空気を感じるし、本当の豊かさではない気がします。

稲田  :うん。君の考えに同意します。ぼくも今回の自民圧勝で感じたことは、「震災者の救済よりも原発よりも経済成長と景気回復」という余りにも狭窄的で自分勝手な考え方でした。
それは震災から何も学んでいないし、グローバル化以降問われている「本当の豊かさ」という価値観についても今回の選挙で何も提示できていません。それよりも旧態依然とした価値観にまだ大人たちがしがみつくという怖さがぼくには感じられました。もしかしたら君も同じような違和感や気持ち悪さを感じているのかもしれません。

十五歳:すっごい感じます!名詞としては経済「成長」ですけど、退化に感じます。それに知識不足なので理由や根拠はありませんが、もう向かうべきところは、そこじゃない気がするんです。

稲田  :うん。君の言ってることはすごくよく分かります。君の言葉からも考えるヒントをたくさんもらいました。ありがとう。
東日本大震災と今回の選挙で「このままじゃいけないんじゃないか」と考え始めた人が沢山いるのだと思います。年齢や社会的役割と関係なく。君のように。ぼくはそういった人たちとできるだけ会って、話をして、これからの自分の考え方を定めていきたいと思っています。今日はありがとう。おやすみなさい。明日、学校で寝て怒られませんように。笑

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選挙当日の夜、一億三千万分の二同士の三十八歳と十五歳がこんなメールを交わしていました。
もしかしたら日本のあちこちでひっそりと同じような会話が交わされていたのかもしれません。

投票する人の平均年齢は五十代だそうです。そして投票する人は有権者の五十パーセント。どれだけ若年層不在かがよく分かります。投票なんかしたって何も変わらないよと思ってしまいがちですが、こんな風に「おかしいんじゃないか?」と考えている十代たちもいて。

もし、ぼくたちが「やっぱり選挙なんかしたって何も変わらないよ」と思ってしまえば、その負の遺産を彼らに引き渡すことになるんだと今回の選挙で気づきました。二大政党制でないと民意が反映されがたい小選挙区制度といった現行システムの問題点もありますが、「何も変わらないよ」と何十年も続く負の遺産をぼくたちで止めることは大切な役割なんだと。もう、そろそろ変わってもいいですよね?

2012年12月14日金曜日

まずはそこから生きていく。


こんなにドキドキしながら迎える選挙は初めてで、正直いって日曜日を迎えるのが怖い。
もちろん選挙の選択は自由だし、人それぞれであるべきなのは承知な上で、結果によっては日本という正体のない集合体に心から失望しそうで怖い。

東日本大震災でまだ三十二万人の方が避難生活をしている。あれから一年半たったのに。まだ仮説住宅や親戚・知人宅、公民館で暮らしている方が三十二万人もいる。その中には原発事故で家を追われ、恐らく生涯において我が家に帰れない人もいる。

自宅に家族で住めてはいても、本当に子どもは健やかに育つのか、子どもに与えている食べ物は本当に健康を損なわないのか判らないまま不安を抱えて暮らしている方たちがいる。

何も終わっていないし、ぼくたちはまだ何も決めていない。東日本大震災を経て、これからぼくたちはこう生きていくんだという旗を揚げていない。一年半も経ったのに。あんなに辛い思いをしたのに。

ぼくは原子力発電に反対です。
まずはそこから生きていく。

2012年11月26日月曜日

『センチメンタル普及委員会発足のお知らせ』

静かな冬の気配や、しんとした夜の帳に
大切な本を繙くときや、あてのない手紙を書く夜に
センチメンタルを感じてやまない全国のセンチメンタル者の皆さま、
如何お過ごしですか。

十一月二十六日の今日、
『センチメンタル普及委員会』を発足したことを高らかに宣言いたします。

この委員会は北軽井沢のセンチメンタル者・藤野麻子さんの
以下メールを起点に発足いたしました。

「今の時代、センチメンタルであることは非常に重要かと思われます。
今後もセンチメンタルの普及に邁進しましょう(笑)!
―略―
ほんとにきょうび、世の中センチメンタルが圧倒的に不足しております。
もはや絶滅危惧種。
これはいけません。
立ち上がらねばなりません」

このメールに長野門前のセンチメンタル者である
わたくし稲田も深く賛同いたします。

会長に藤野麻子さん、事務局長に稲田英資を置いて、
広く全国のセンチメンタル者たちにエールと共有をお届けしたく
ここにセンチメンタル普及委員会を立ち上げました。

我こそはと思う全国の方々、特に何をするわけではないですが、
「同輩がここにいるぞ」との第一声とともに
発足の挨拶とさせていただきます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


二千十二年十一月二十六日
冷たい雨の日に

センチメンタル普及委員会
会長     藤野麻子
事務局長  稲田英資

2012年9月12日水曜日

誰もがおくるべき当たり前の暮らし


熱が出て口の中が荒れに荒れ、この一週間ほとんどものを食べれず、夜も眠れず、しまいには点滴を打っていた二歳の娘。劇的回復したらしく、今朝は納豆ご飯を完食し、「いってきます!」と大きな声でピースサインまでして保育園に行った。ほっとする。

とても比べられるものではないのだけど、たかが一週間の子どもの不調で胸を締め付けられるのに、「自分たちの暮らしは本当に安全なんだろうか。この子のからだが壊されてないのだろうか」と悩み、不安にくれる福島の方たちの心境はいかほどだろうかと思う。
何十万人もの家族が重く拭えない不安を抱えたまま暮らす生活が目の前にあるのに、誰も死んでいないから原発事故はマイナーなものだとはとても言えないと思う。誰もがおくるべき当たり前の暮らしを、一方的に奪われたのだから。

この世界は子どもが元気で笑っていられる場所であってほしい。それはとても普遍的な気持ちだと思う。たとえ有史以来叶えられたことのない夢であったとしても。

2012年8月18日土曜日

一体何が民主主義なのか


今日の信濃毎日新聞文化面での大沢真幸さんという社会学者のデモについてのコラムがとても良かった。

今の国会議員たちのデモへの無関心さを『公共的なものへの関与よりも家への事情が優越する』からだと説き、デモの過剰警備について『ちゃんとした民主主義の下ではデモは起こらない』という日本人の常識ゆえの過剰警備に異議を唱え、『デモのような集会を開き、自由に意見を表明できることこそ、民主主義の内実そのものである』、『代表制民主主義は、こうした条件を不完全にしか実現できない次善の策である』と書いている。

その通りだと思う。完璧なシステムなんて存在しない。完璧な絵が存在しないように(たしか村上春樹)。完璧なシステムなんて存在しないからこそ、様々な揺らぎの中で補い合うのが健全な有り様だと思う。民主主義とは揺らぎそのものだろうからだ。

昨日の大雨の中、長野駅前で原発反対の声を大きく上げていたマブソン青眼さんやぼくの友人たちの声が民主主義でなかったら、一体何が民主主義なのか。

2012年8月8日水曜日

また金曜日がやってくる。


また金曜日がやってくる。


フランス出身の俳人であるマブソン青眼さんら何人かの方々が
毎週金曜日の夕方六時から長野駅前で原発再稼働反対の抗議活動をしている。
ぼくも先週、途中から参加させてもらった。
拡声器などを使うと届け出が必要なので、肉声で原発再稼働反対を訴えている。
とてもシンプルで手作り感のある集まりだ。


たまに「原発は反対だけど、デモや抗議活動したからって止まるとは思えない」と言われる。
気持ちはわかる。ぼくもそうだったし。

でも、分かってきたことはデモや抗議活動は身体の痛みを訴える大切なアクションで、
痛みの信号を受けないと治療が始まらないということだ。
人間がどこか怪我をしたときや、これ以上重いものを持てないという負荷のアラームとして痛覚はとても大切なように。


「痛いよ!」「これ以上持てないよ」という声を上げるアクションがなければ、
治療したり、荷物を降ろすという次のアクションが始まらないということだ。
デモがすなわち原発を停止したりしないけど、「痛い」と言えばすなわち病気が治るわけがないのと同じだ。
でも、「痛い」と言わないと治療が始まらない。ステップが違うのだ。


というように「声を上げること」について思っていることは
今までも人に話したり、日記的に書いたりしたけれど、今日書きたいことはちょっと違って。


発端は先週金曜日の抗議活動でマブソンさんが再稼働反対のシュプレヒコールの合間に
「私だってしたくてしてるわけじゃないんだよー」と叫んだことだ。


そのときはそのままコールが進んだけれど、当日の夜に角居さんや関谷さんと飲んでいて
「あのマブソンさんの気持ちはとってもよく分かる」と頷きあった。
「今日は遅くまで仕事で疲れたし、行くの面倒だしと思ってたんだよね」とぼくは言い、
角居さんも「おれだって毎回行くときにハードルがめちゃくちゃ高いよ」と言った。
皆、同じなのだ。


できることならこんなことしたくない。
道行く人に白い目で見られて、
近しい人からはちょっと遠巻きに見られて、
苦笑いされて。
もっと違う方法があるさと言われて。


こんなこと全然したくない。
もっと自分の好きなこと、楽しいことだけをして生きていたい。
楽しいことを共有できる人と楽しく過ごしたい。


人によって色々だろうけど、
ぼくにとって原発反対のデモや抗議活動で声を上げることは「いじめ」の構造とほぼ一緒だ。


「いじめ」という暴力現象はどのような集団活動でも起こりうることを小学校・中学校で身をもって知っている。
そして、「見て見ぬふりをする」「何のアクションも起こさない」という九割の人々の選択肢が
いじめの重要な成立条件だということも痛いほど体験している。痛いほど。


いじめた側のチームにいたこともあったし、
いじめを止めようとしてあっという間に孤立していじめの対象となったこともあった。
でも、今ぼくにとって重要なことは加害者・被害者・無関心者の三者が揃っていじめは成立するということを「知っている」ということだ。


小学生のとき、中学生のとき、ぼくはうまく出来なかった。
勇気も足りなかったし、恐怖にも耐えられなかった。
大きな声を上げられず、自分を守るために平然と見ないふりをすることも沢山あった。
助けて欲しいと胸の中で渦を巻いているのに何一つ言えなかった。
加害者であり、被害者であり、無関心者だった。


それでぼくはいま大人になっている。
また同じ局面に立っている。
無関心は暴力の成立要因だと知ってしまっている。
デモや抗議活動という声を上げるアクションが治療のために必要だということを理解してしまっている。


ぼくはどうするんだろう?
また平然と見ないふりをするんだろうか?
また勇気を出せないんだろうか?
また家に帰るまでの我慢だと思うんだろうか?
無関心の暴力性を知っているのに。理解してしまったのに。


去年の東日本大震災の原発事故を見て「ぼくも加害者の一人なんだ」と思ったあの気持ちをぼくはどう扱うんだろう?
自分が無関心者だったツケをいつ払うんだろう?
いつ勇気を出すんだろう?


ぼくはヘラヘラ笑って生きていたい人間です。
楽しいことを分かち合える人たちと会って、幸せな気分を共有したい人間です。
できることならデモや抗議活動なんて行きたくない。
ぜんぜん。
でも。


最近はそんな風に思っています。

2012年7月30日月曜日

デモってなんだろう?



「脱原発」を訴える抗議行動『7・29脱原発 国会大包囲』に参加してきました。
日比谷公園からスタートして、東京電力本店前を通り、経産省前を過ぎ、国会へ。夕方四時に出発して国会前に着いたのは六時半くらい。それから八時くらいまで国会を取り囲んで抗議活動を行いました。
http://fotgazet.com/news/000236.html

国会の包囲は歩道だけの警備設定だったため人が溢れ、二重三重に人々が国会を取り巻きました。国会正門前での抗議活動を進めるなか、狭い歩道に押し込められた人々の何人かが大きな車道に足を踏み入れ、それを機に瞬く間に何千人もが車道を占拠し、国会正門前で口々に「原発反対」「再稼働反対」を訴えました。
車道を占拠する動きに暴動や無秩序さが少しも感じられず、将棋倒しにもならず、なんて言えばいいんだろう、普通の人たちの普通の歩みのまま、ぼくも含めて道路を占拠しました。不思議な感覚だった。

参加者数は主催者側で二十万人、警察発表で一万五千人とのことですが、当事者としてはよく分かりません。実感として、自分の感覚では捉えきれない大きな渦がこの時間とこの場所を塗りつぶしていたという感じです。

ぼくは六月の長野でのデモ、そしてこの抗議行動で二度目の参加でした。ぼくはいつも行動してからその意味を考えます。考えたことは言語化します。そうしないと前に進めないのです。

ぼくは六月のデモで学んだことは「デモは意思の可視化であり、社会に意思を表明することだ」ということでした。
そして、七月二十九日の抗議活動に参加して、参加してるときも、参加した後も、ぼくはずっと「デモってなんだろう?」と思い続けました。
何千人、何万人の人々と行動を共にして、ぼくは何を学んだのだろう?と思い続けました。

「デモってなんだろう?」

この問への一番率直な返答はあの日、あの場所で起こったことであり、街を練り歩いた人々であり、街中に上げられた声であり、太鼓の音であり、ささいな諍いであり、配られるチラシであり、一定の時間と一定の機能を奪われた街であり、苛立ちを感じた通行者であり、何百人もかき集められた警察官であり、カメラと脚立を抱えて歩き回る報道陣であり、空を回旋し続けるヘリコプターであり、静かな苛立ちを積み重ねる群集たちであると思います。

デモとは正にそれら起こりうること全てがデモなんだと。
デモは何かしらの意思表示であり、何かしらを変化させる「ため」のものかもしれませんが、それは段階としては次のステップであり、デモはデモが持つ混乱そのものが存在価値なんだと思いました。

twitterでよく見かける「デモで再稼働した原発が止まるわけがない」という意見。それを見かける度にぼくの中ではモヤモヤしたものが生じました。「鉛筆でビールの栓が抜けるわけがない」というような違和感。日本語としては正しいかもしれないけれど、何かがおかしく、どこか破綻している。

ビールの栓を抜く道具は栓抜きである。
再稼働した原発を止めるのは政府であり議会である。

その意味において、デモは栓抜きではないし、再稼働した原発は止められない。
なぜならデモの先にリアルな政府も野田総理も議会も待ち構えているわけではないからだ。
「デモで再稼働した原発が止まるわけがない」
それは正しい。
でも間違っている。

デモはデモであることにおいて力を持つ。
あの街の機能と時間を奪う力が、群衆の占拠が、デモとして起こりうる全ての事象が「脱原発」の意思として捉えられ、新聞やテレビやネットなどに配信される。例えば昨日のTBSでのニュースや、今朝の朝日新聞一面や、多くのネットニュースに。一人ひとりの目に見えない意志が可視化され、社会の一要素として共有される。

デモはデモであればいいのだ。
『7・29脱原発 国会大包囲』でぼくはそう思いました。

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<最後に思ったことを>
デモはデモであればよく、そしてデモはフェスタです。間違いなく。
できるだけ沢山の人と集まり、できるだけ大きな音を出し、大きな声をあげ、できるだけ笑い声があった方がいい。ぼくはそう思いました。

『デモは「是か非か」と論議するようなものではないと思います。車が走っている限り交通事故があるように、社会がある限りデモがある、という存在の仕方だと思います』
と小沢健二が書いているように、デモは社会の一部だとしたら、ぼくたちはそれをもっとぼくたちのものとして使えた方がいい。少し遠出して水族館に行くような感じで。

今回一緒に行った角居さんがfacebookで上げてくれていますが(角居さんありがとう)、東京まで相乗りすれば五人で往復二千五百円。朝行って夜帰って来れます。練馬インターで降りて小竹向原駅そばの駐車場を使うと麹町や永田町に一本で行けて、毎週金曜の官邸前デモに便利です。

高速料金:五千百円(長野-練馬の往復)
ガソリン代:五千八百j円
駐車料金:九百円(小竹向原駅そば)

デモはどこか遠くの誰かがしているものではなくて、いつでも自分のものになるんだとぼくは思いました。声を上げたいことがあれば。

小沢健二『金曜の東京』
http://hihumiyo.net/fridaysintokyo.html

2012年7月13日金曜日

『金曜の東京』 小沢健二

小沢健二のデモへの姿勢。声を上げることの大切さ。
声を上げることに引け目を感じないように。
声をあげることが多くのことがらと
等価の価値をもっていることを信じられるように。

読めて良かった。

『金曜の東京』小沢健二

2012年7月11日水曜日

様々な問いの交差のひとつとして。


ぼくは七月二十八日(金)の原子力発電・議事堂前抗議活動に参加しようと思っているのですが、それについて妻から反対のメールが届きました。

彼女の考え方も分かるし、このように考える方も多いと思うので(とってもプライベートなメールではありますが…)、メールの往復書簡を載せさせていただきます。

正解なんてどこにあるのかさっぱり分からないけれど、でも今の日本のあちこちでこのメールのような「どういうことなんだろう?」「何が正しいんだろう?」「どう考えればいいんだろう?」という問いが交わされているのだと思います。家族で、友人で、会社で、学校で、見知らぬ人同士で。

このメールも、それら様々な問いの交差のひとつの事象だと思って読んでいただけたら嬉しいです。二者間での問いの往復はその問題がもつテーマを内包していると思うので。掲載は妻の承諾済みです。しかし恥ずかしいなあ。

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【妻からのメール】

私はデモには反対です。
もう次の段階にはいらなくちゃいけないと思います。
本当に15%もたりないのか。たりないのだとしたら補う方法はないのか。原発を動かさないでもし大停電になったら関西の人は怒らないでいられるのか。
何かそういうのなしで原発反対とただ叫ぶことに疑問を感じます。
野田がやらなくちゃいけないことはもっともっとたくさんあると思うけど、私が野田なら原発再開すると思います。

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【ぼくの返事メール】

>本当に15%もたりないのか。たりないのだとしたら補う方法はないのか。原発を動かさないでもし大停電になったら関西の人は怒らないでいられるのか。

これについては明確に関西電力が「原発を動かすことと電力需給は関係づけて考えていない」と大阪府市エネルギー会議でも明言しているんだよ(その場面がテレビで放送されました)。
どういうことかというと、今は火力発電をフル活動しているのだけど、それだと燃料費が高くてやっていけないから、原発を動かしたいということです。でも、それをきちんと説明していないで、雰囲気として「原発を動かさないと電力が足りない」というロジックを社会に発信してしまいました。
「原発を動すことと、15%電力が足りないとは関係ない(関係づけて考えていない)」ということを実施するように、なんと大飯原発を再開させた三日後に火力発電を八ヶ所止めています。今までの説明から得る雰囲気だと「このままだと電力が足りない。関西の人が困ってしまう。だから大飯原発を動かさせてくれ」だったよね?(ぼくも君もそんなニュアンスで理解していたと思う)それで仕方ないという雰囲気になったのに、原発が再開した代わりにコストの高い火力を止めるというのはあまりにも企業本位なやり方で、いま部分的に非難を受けています。

>本当に15%もたりないのか。たりないのだとしたら補う方法はないのか。

この問いに対して、実は誰も正しい返答をできないのです。関西電力の不足分の数値の出し方、発電運営のやり方がとうてい信用できるものではないからです。15%という数字の真実性が問えない。今の火力水力の発電力データを出されても信じられない。なぜならデータはすべて関西電力が持っているからです。それはカードゲームをやっているのに、ぼくたちは自分のカードを見ることが出来ず、電力会社だけがカードを選んでいるようなものです。そんなのルール自体が壊れているゲームです。
今の関西電力のやり方が「ギリギリまで原発を動かさないように努力するけど、命優先のためにどうしてもとなったら原発を再開させてくれ」という態度にはとても見えないし(原発稼働のための数日が必要だとしても)、「原発を動かすことと電力需給は関係づけて考えていない」とテレビ上でも明言したことについて、会社としてきちんと説明していません。それは再稼働を決めた政府も同じことが言えます。

>私はデモには反対です。もう次の段階にはいらなくちゃいけないと思います。

君の言うことはとっても分かるし、デモなんかやってる場合かというのも分かるんだけど、残念ながら、ここ数カ月の政府と電力会社のありようは全くと言っていいほど信用できるところがありません。本当に「そんなことやってる場合か」ということが政府と電力会社に沢山あります。そして、震災以後ぼくが学んだことは「政府や電力会社は積極的な嘘は言わない。ただし、言いたくないことはとことん隠し通す。騒ぎが収まったらこっそり出す」ということです。
関西電力の「原発を動かすことと電力需給は関係ない」という大阪府市エネルギー会議での明言もそうだし、大飯原発の下に活断層があることについての地層調査データも「無くした」と言っています。首相官邸前を十五万人が抗議活動で取り囲んだ時に「これをどう思いますか?」と訊ねた記者に、野田総理は「外で大きな音がしますね」と答えたそうです。これは(抗議活動と認識しない)と言っているのに等しい。無視することで物事を進めようとしているんだね。

実は日本のエネルギー政策の大きな変換点が八月末で決まるということを先週知りました。ぼくは全然知らなくて、例によって内閣府のwebサイトでこっそり上げられていたのだけど(パブリックコメントの募集)。
それによると、今後の日本のエネルギー政策において原発依存度を0%、15%(現状の半分)、25%(現状より少し減)の三択で決めるから投票するようにということでした。そんなこと知らなかったよね?ぼくも全然知りませんでした。知らないと何が起こるかというと、組織票が断然強くなるのです。それは選挙でもそうだよね。民主党があれだけ当選したのは、普段動かないサイレント層が投票したからです。サイレント層が動かないと、組織票を持っているところが安心して勝てるというのはどんなことでも一緒なんだね。

デモで原発は止まらないです。それはその通り。だけど、今のあまりにも火事場泥棒みたいな「ちょっと嘘ついてでも、なるべく原発を維持できるようにしよう」という政府と電力会社のやり方に「ふざけるな!」と声を上げること、そして「実はこうなんだよ。おかしくない?」と知らない人に知ってもらうことが、今このタイミングでとても大切なことだとぼくは思います。
原発は止められないけど、今の「おかしいぞ?変だそ?」ということを知ってもらう手段として、十万人以上に膨れ上がった毎週金曜日の抗議活動は無駄なことではないと思っています。ぼくもそれで「ん?おかしんじゃないか?」と思いました。

もちろん、「ぼくは原発に絶対賛成です」という人もいて当然だと思います。でも、今のあまりにもひどい「決められ方」、「全然信用できない人たちが決定権をもつ仕組み」、「電力が足りないということを脅迫的に使う電力会社」に対して、「おかしい!」と声を上げること、そして「実はこうなんだよ。おかしくない?」と知らない人に知ってもらうことが、八月末までに重要で、これから二十年先の日本のエネルギーの選択肢に大きな意味を持っているとぼくは思います。

2012年6月25日月曜日

声を上げること、意見を具現化すること。


六月に『再稼働反対大行進in長野』に参加させていただいて、デモに参加することは自分の意見を実体化する行為なんだと体感できました。

「原発再稼働反対」という目に見えない一人ひとりの意思に、「デモ」という可視化した実体をつける行為なんだと。

「いじめ」に参加していなくても、見ないふりや無関心さは決して抑制力にならない。のみならず、無関心さは「いじめ」という構造の成立要素として参加している。そのことをぼくは学生生活でとてもリアルに体感しているので、マブソンさんが引用されたアインシュタインの言葉は胸にしみました。そしてそれは今の原発問題に似た構造だと思います。

福島を奪われた方々に対してぼくたちは多かれ少なかれ共犯者になっている。それを去年の東日本大震災でぼくは痛感したばかりです。その気持ちを書いた当時のブログと、今は気持ちは何も変わらない。それなのにまた無関心層として構造に取り込まれたら、僕はあの震災で何も学んでいないことになります。

声を上げること、意見を具現化することを「意味がない」と否定するよりも、そもそも僕は「声を上げること、意見を具現化すること」が出来る大人になりたいと思います。そうじゃなかったら「大人になる意味なんて何もないじゃないか」と学生時代の自分に問われてしまう。あのときの自分は何も出来なかったけれど。

「大人になったら(頑張って)勇気が出せるようになるんだぞ」と自分の子どもや、十代の自分に言えるようにぼくはなりたい。七月二十九日の脱原発国会大包囲に参加します。

2012年6月11日月曜日

デモに参加してみて思ったこと。


六月十日に長野市で行われた原発再稼働阻止のデモに家族で参加しました。南千歳公園から周辺を一時間ほどかけて歩く五十人ほどの小規模なデモ。
今回は原子力発電についてではなく、生まれて初めてデモに参加してみて「ふーむ、こうなっているのか」と知ることが幾つかあったのでそちらを覚書として書いてみます。

一)参加はかなり自由で、飛び込みも歓迎だった
南千歳公園に集まりさえすれば後は皆で歩くだけ。署名や人数確認もなし。デモ行進しているときも「賛同する人がいたら一緒に歩こう」という姿勢でした。いつかどこかでデモ行進をしていて、それが賛同できる内容だったら今度はかなり気楽に飛び込みできるだろうなーと実感。

二)警察はかなりスマートに道路整理をする
正規のデモはきちんと届け出するということを知識としては知っていましたが、デモの行進中、警察がこんなに懇切丁寧に対応するのだとは知りませんでした。
車道を歩いている間はずっと、車の進行やデモ参加者のはみ出しなどを誘導します。【デモは国民の権利である】【権利を施行する間、官がサポートするのは当然である】という考えは理解できますが、そうはいっても人間。「いやあ、ありがとう」という気持ちに。なにか事故があったら彼らも責任を問われるので業務の一環として当然なのでしょうが。国の姿勢について反旗を翻しつつ、一方で国のシステムに懇切丁寧にサポートしてもらうという両面性が面白かったです。もちろん、そんなデモばかりではないだろうけども。

三)子どもへの影響は大きい
今回はたまたま家族総出(ぼく妻子ども三人)で参加したのですが、まあ、最初は子どもたちは怯えていました。「な、なんだこの場は…。この大人たちは…」という感じ。それはそうだ。六歳の息子なんて怯えて涙ぐみ始めたので、最初はおんぶしながらの行進。八歳の娘は「帰りたいよう」と控えめに訴えてきましたが、父としてスマートに拒否。
それでもまあ、何でも馴染んでくるもので、怯えていた息子もだんだん慣れてきて、「原発反対!」のシュプレヒコールをぼくの背中で呟きはじめたなーと思っていたら、そのうち調子にのって大きな声で「げんぱつはくさい!キャハハ」と子どもじみたギャグを嬉しそうに言ってました。
八歳の娘もコールまではいきませんでしたが、手持無沙汰だとつらく、何かの役割が欲しくなってきたのでしょう。二歳の娘を母親から奪って、抱っこして行進するのが心の安寧だったようです。行進では楽器を鳴らしている幼児もいて、そうした参加感を得れる道具があると子どもも楽しくて良いかも。娘は妹を抱っこして行進してると、いろんな人が写真を撮ってくれるのが嬉しかったらしく、行進後に「いっぱい写真とられた!」と自慢げでした。気持ちはわかる。
娘は帰宅後、宿題の日記を書かなきゃーとガツガツ書き始めたので見せてもらうと『今日はデモ行進でみんなと歩きました。声も出さなくてはいけなくてちょっと恥ずかしかったです。「原発はんたい、いのちをかえせ」とみんなで言いました。ふるさとの歌もみんなで歌いました』といった内容。担任の先生、前知識なく読んでびっくりするだろうな。まあ、それも面白くてよい。ぼくは個人的嗜好としてシュプレヒコールは苦手なのですが(皆そろって同じことをするのが苦手)、あの短時間で娘にこれだけ浸透するのだから、なるほど浸透効果は高いのだと納得。
子どもがデモに参加することについて思ったのは「是非はともあれ、影響はストレートに出るんだな」という実感でした。その良し悪しはきっとそれぞれが決めればいいことでしょう。
また、なぜか日本ではポリティカルな場面に子どもがいる風景に違和感がありますが、それは今の日本ではポリティカルなことが日常性を持っていないからなんだろうなと何となく実感。ぼくもデモに参加することは非日常でした。それで家に帰って「げんぱつ・はくさい!」と節をつけながら口ずさんでいる息子と牛乳を飲むのはとても日常的で何だか面白かった。

四)まとめ
今回、デモに参加しようと思ったきっかけは誰かがリツイートした誰かの引用文でした。うろ覚えですがこんな内容。
「国が本当に嫌がるのは、とにかく群衆がどこかに集まることだ」
これが本当かどうかは知りません。でもなんだか説得力があったので、嫌がるならやってみようと。どれほど嫌がったか分かりませんが、今回のデモ参加で「社会に対して手を挙げる方法」を試してみたんだなーという実感は得ました。学校に行って初めてそのクラスで手を挙げたときのように。これからも手を挙げるときは挙げようと思います。学校でもそう習ったからね。


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追記)
ちなみに僕の原子力発電についての態度は以下のようなものです。

一)自然エネルギーに乏しい日本が頼ろうとしてきた(今でも頼りたい)側面は理解できる

二)しかし、この五十年で原子力発電を維持・開発する環境が既得権益化しすぎる一方、国民の選択の場が不在化し、「原子力発電を使い続けようとする」システムのみが拡大し、歪みすぎたように思える

三)使用済燃料の最終処理場を日本国内に置けるのか(置いてよいのか)大いに疑問がある(東日本大震災以来、日本の地理特性、責任者・管理者不在の政府姿勢などを経てその気持ちは更に強まった)

つまるところ個人姿勢として、原子力発電の技術的な有効性で語るのではなく(そもそもぼくには分からない)、「既得権益化によって、原子力発電を使い続けようとするシステムのみが拡大した日本行政と企業では、災害があったときに被害が甚大である原子力発電を正しく運営できない」と思っています。屋根からぶら下がって窓ガラスを拭くときに、信用できない人に大切な命綱は預けるなってことですね。

また、既得権益を持っている人たちに「それは捨てるように」と言ったって捨てないと思うんです。ぼくだって捨てないよ。もったいない。
既得権益化は企業としてはそのベクトルを当然持つだろうと思います。利益の追求が企業の本質的な有り様だから。原子力発電=既得権益の「システムを改善しよう!」というよりも、今まで一方的に独り勝ちしていた彼らがここで大きなミスをして、選択肢というとても貴重なカードがテーブルに戻ってきたのだから(今まではそのカードすらも存在しないように無在化されていたと思える)、この機を逃さずちゃんと態度を表明しようと思っています。

薬物中毒者が自分からクスリを止めるのはとっても難しい。一番効果的なのは「もうクスリやっちゃだめ!」と患者の前からクスリを取り上げることと、アフターフォローなはず。だから、患者自身の是正を期待するのではなく、ぼくたちのような外部の人間が「原子力発電はもうダメ!」と選択肢を示すことが、いま必要な対応なのだろうと思っています。それで万が一、新しいエネルギー政策が決まったとしても、そのシステムはきっとまた既得権益の集団になるんだと思いますが、それはまた別の話。ぼく個人としては「今までうやむやの中で使い続けてきた原子力発電を、本当にこれからも自分たちは選択するのか」という選択肢を国民レベルで決めるタイミングなのだろうと東日本大震災以来の動きを理解しています。


デモに参加した子どもたちの三人三様。終了後にドリンク一気飲みする息子/帰宅後にガツガツ日記を書く長女/終了と同時に爆睡する末っ子

2012年6月7日木曜日

長野と松本について。

松本市内でお店をやっている方と電話で話し込む。
彼はぼくのクライアントでもあり、彼の関わる組織のwebサイトも制作させていただいた。
同世代でもあって話も合うし、会うと楽しい。

彼の目下の悩みは
「松本の商店街をもっと人が集まる、熱のある形にどうしたら出来るのだろうか」ということだ。

それはもっと売上を上げるとか、集客をするといった短路的なことではなく、
「あそこに行ったら何か面白いことをやっているよね」という空気感を
どうやったら作り上げられ、定着させられるかということ。

ふーむ。

webサイトを使って各店舗がブログやtwitter、
facebookなどの情報発信することも店舗ごとに温度差があって、
ひとつの集団としての「熱」や「楽しさ」を積み重ねていくのは難しい状況とのこと。

ふーむ。

若い世代や外部の人が店舗を構え、既存店の方々と交流が生まれることで
新しい流れや熱が生まれるのじゃないかという視点も、
街の整備が進んだ松本市内はそれによってテナントの賃料が高く、
なかなか気軽に若い人が出店できる状況でもないとのこと。

ふーむ。
そういえばどこかで
「街の活性化だといって古い建物を一掃すると、それによって賃料が上がり、
若い世代の出店が難しくなって、街の世代交代が膠着化するリスクがある」
というようなことを読んだ記憶がある。

長野市だってそういった一面はあるだろうが、
善光寺があることで、周辺の整備化が進まなかった部分もあるのかもしれない。
それによって古い家屋が残り、
若い世代が手の出せる賃料で出店できるという流れが可能になったのかもしれない。
チクー1166バックパッカーズロジェBook&Cafeひふみよのように。

そんな話を松本の友人と話している中で、
長野と松本のやり取りをできるような場所(webサイト)があるといいよねという話になった。

そこで生まれるやり取りは店舗を構えている人同士かもしれないし、
友人と日曜日に遊びにいく場所を探している若者かもしれない。
松本で店を出したいなーと思っている長野の人かもしれないし、
その逆の人かもしれない。

実際にtwitter上で長野と松本のぼくの友人同士が
見知らぬままに会話を交わし、
「今度、女子会しましょうねー」などと盛り上がっている。
女子会だけどぼくもぜひ行きたい。

ぼくがこの一年で門前の動きから学んだことといったら、
「人が集まるのはそこに人がいるからだ」ということだ。

そこに会いたい人がいるから人が動き、
会いたい人がいる場所が店舗であり、
会いたい人がいる場所で新しい出会いと会える。

松本と長野を結ぶ何かを考えた時に
仕事柄、webサイトやfacebookなどの活用はもちろん浮かぶけれど、
まずは松本の友人に長野に来てもらって、
こちらの店舗や友人に会ってもらって、ご飯たべたり、お酒飲んだりして、
彼自身が長野の友人をつくることで何かが生まれるんじゃないかなーと思っている。

六月後半に長野に来てくれる予定になりましたので
皆さん、よかったら一緒に遊びましょう。

長野と松本で友人が増えて、
「先月はこっちで遊んだから、今度は遊びに行くねー」という会話が
もっと増えたら楽しいだろうな。

そしてぼくたちはfacebookやtwitterという道具で
そんなことを気軽に楽しく実現できる生活にいるのだと思う。

2012年2月28日火曜日

歴史って本当に面白い!「飯山の戊辰戦争」

いま、仕事で飯山市の観光パンフレットを制作させていただいているのですが、
お手伝いをお願いしている編集者さんが飯山の歴史本で下調べしてくれたところ、
明治維新期に上越から入ってきた幕府脱走軍たちの取り扱いを巡って
飯山藩が二転三転の大混乱に陥った事件があったという文献を教えてくれました。
おお!幕末好きには堪らないエピソード。
パンフレットには使えないけど、俄然興味あります!
その本は『語り部が語る ふるさと 飯山』(佐藤政夫・弓削春穏/ほおずき書籍)。
さっそく熟読。
幕末期の飯山藩事件は大政奉還に反発する脱走幕府軍の局所的戦闘のお話でした。
その名も「飯山の戊辰戦争」!
いやー、面白かった!!
当時、幕府の歩兵指南役だった青年将校古谷作左衛門が隊長を務めるこの脱走軍(後に衝鋒隊と命名)は
慶応四年三月はじめに江戸を出て、同月二十日すぎには会津若松に入城。
諸藩きっての佐幕藩主だった松平容保に激励を受けた衝鋒隊は意気大いに上がり、
越後の諸藩を説得し、味方に引き入れながら(半ば迷惑がられ、半ば歓迎されながら)高田城下まで進軍。
このころ衝鋒隊の勢力およそ五百人。
浪士五百人が越後から信州へ向かってやってくるという噂が広まるにつれて、信州の諸藩は気が気でない。
なかでも飯山藩は富倉峠一つへだてた新井宿まで先鋒隊がやってきたとなると、これはもう一大事。
ここから、飯山藩の大混乱が始まるのです。
五百人におよぶ脱走幕府軍に対し、たかが二万石の小藩飯山は足軽まで入れてもせいぜい二百人。
何としても激突は避けたい。
一戦に及んだら城下町が火の海になるのは見えている。
脱走幕府軍を素通りさせて、事無くすませたい。
そんな思惑で衝鋒隊の宿舎を求めて、飯山藩は本町の家々四十数件
ほていや仁太夫・よしのや庄兵衛宅など)を割り当てたり、
真宗寺を本陣に空けさせるなど涙ぐましい努力をするのですが、
なんと衝鋒隊は素通りするどころか、
飯山を本拠地につい先ごろまで幕府代官所のあった中野を襲撃しようと居座ってしまいました。
その上、それを聞きつけた信州随一の雄藩・松代藩は浪士隊を殲滅させようとぞくぞく木島周辺に集結。
「お前ら不逞の徒を泊めて何をやっておるか!よもや官軍に弓を引くつもりか!」と激怒。
それはそうだ。
さあ、困った飯山藩!
何とかして浪士隊を城下から立ち退かせねば、もはやこちらも賊軍とされるいきさつに。
どうするどうする!
...とまあ、書くと切りがないので導入のここまでにしておきますが、いやー、本当に面白い!
幕末好きのぼくだけど、飯山は幕末の騒動なんて関係なかったんだろうなあと勝手に思っていました。
それが、こんなに人間くさい事件があったなんて。
松代藩も佐久間象山くらいにしか思っていなかったのですが、
当時の飯山藩の慌てようを垣間見るに、雄藩としての松代藩の存在がぐぐっと大きく見えてきたり。
歴史は一つの視点でぐっとダイナミズムを得ますね。
この瞬間が本当に面白い。
最後に、ぼくの実家は飯山市内の愛宕町で内山和紙店を営んでおりますが、
それは祖父の代からで、しかも祖父は仏壇屋をやっていたんですね。
そして仏壇屋の前の江戸時代には米問屋を営んでいて、まあまあ裕福だったと。
それは知っていたんだけど、「なんで米屋をやめたのかなー」と以前から不思議に思っていたんです。
それで今回の「飯山の戊辰戦争」を読むと、
最後に敗走した浪士隊は市中に火を放ち、飯山城下はほぼ火の海に包まれるのですが、なんとぼくの実家も焼けていた!
(この本に当時の焼場書略図が掲載。飯山城から愛宕町までほぼ全域の大火でした。※当ページ終わりにPDFがあります)
ああ、だから、米問屋を閉めて、当時から盛んだった仏壇作りに「おれも仲間に入れてくれ」と始めたんだ...。
ぼくが三十年漠然と「なんでかなー」と思っていたことが、一冊の本で新しい視点を得ることができました。
詳細は実家に帰って父親に尋ねなければなりませんが、
自分の人生と、日本の歴史がリンクする面白さを味わえた瞬間でした。
ああ、歴史って本当に面白い!!

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『語り部が語る ふるさと 飯山』
佐藤政夫・弓削春穏/ほおずき書籍
飯山の戊辰戦争_「語り部の語る ふるさと 飯山」より.pdf


ほおずき書籍さんの御厚意により、『語り部が語る ふるさと 飯山』での
「飯山の戊辰戦争」章のPDF掲載ご許可をいただきました。
ほおずき書籍さん、ご丁寧に対応いただきましてありがとうございます。
すっごく面白いので、幕末好きの北信地区の方々、よかったら読んでみてください。

2012年2月1日水曜日

『Book&Talk ひふみよ vol.02』で思ったこと。

一月二十八日にBook&Cafeひふみよで開催された『Book&Talk ひふみよ vol.02』に行った。

雑誌『spectator』編集長・青野利光さんと
Get Back,SUB!』の著者でライター・編集者の北沢夏音さんのトークイベント。

音楽や本や雑誌を深く愛する北沢夏音さんが口にされる
楽曲やアーティストはぼくには半分も分からなかったけど、
予定を大きくオーバーした三時間にとても満足した。

楽しいというよりも、静かな音楽会に参加したような不思議な気分だった。
まるで夜の森に皆で車座になって、静かな音楽をずっと聴いていたように。

友人もツイートしていたけれど、
青野さんと北沢さんのトークは「長野」とか「地域性」とかいう括りを超えた話だった。

青野さんは東京から長野に『spectator』の編集部ともども越されてきて、
そういう点では長野も話題に上がったのだけど、
全体を流れるトーンは雑誌制作や七十年代のリトルマガジンに主軸を置いて、
サブカルチャーの意義を語るという内容だった。

Book&Cafeひふみよの二階で、
小さな音色に耳を傾けるようにして、
ぼくは青野さんと北沢さんの話を聞いた。

『SUB』や『WonderLand』や『宝島』や
『Rolling Stone』やニュー・ジャーナリズムの話を聞いた。

北沢さんは話のなかで比喩として楽曲名をよく出した。
ぼくが知っている曲はほとんどなかったけど、
さらりと北沢さんの口から出る楽曲は古い本のように手触りが良さそうだった。

なんだか、とても心地よかった。

ぼくは思うんだけど、サブカルチャーとかアンダーグラウンドとか、
ポップミュージックって日常に無くてもいいものなんだろう。

でも、日々に生きるぼくらの視点を一つ上に上げてくれ、
日々に生きるぼくらの重力性を断ち切ってくれるものは
サブカルチャーとかアンダーグラウンドとか、
ポップミュージックなんだろう。
きっと。間違いなく。

そして、油断した日常性を
非日常性から覆そうとするのが
サブカルチャーとかアンダーグラウンドとか、
ポップミュージックなんだろう。
きっと。間違いなく。 たぶん。

『Book&Talkひふみよ vol.02』のあの時間は
ぼくにとって非日常だった。

非日常性をヒリヒリと愛しく思っている人たちと
同じ時間を共有できて本当に嬉しかった。

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2012年1月19日木曜日

誰かから何かを受け取り、また誰かに渡していくこと。

ご近所のおばあさんが亡くなった。九十歳近かったと思う。

ぼくは彼女の顔一面に深く刻まれたシワと、
笑うと目がなくなるくらいの笑顔が好きで、
遠くから見かけるとスススと寄っていって挨拶をした。

機会があってお家に上がったときに、彼女が若かりし頃のことを聞いた。

日常的に話慣れていないみたいだったけど、
「聞かせて聞かせて」とねだると咄咄と話してくれた。

若かりし頃の家の間取りのことを尋ねると、
土間があって農耕牛がいて井戸があって...と沢山教えてくれた。

高齢の方とお話するときには質問を具体的にするといいと
いうことを教えてくれたのも彼女だった。
住んでいた家のことを媒介にすると、
当時の記憶が湧き出てくるということも教えてくれた。

彼女の口から語られる当時の暮らしからは
「家族総出で生きる」という姿勢がとても伝わってきた。

押し車をお共にいつも散歩されていて、
お会いする度に子どもたちを見て「可愛いなー可愛いなー」と言ってくれた。
そのときの彼女は仏様を拝んでいるようだな、と思った。
実際、そんな気分だったのかもしれない。

休日の散歩のわずかな時間だけだったけれど、
八歳、六歳、二歳になるぼくの子どもたち全員と
赤ん坊の頃からこの数年間でずっと会ってくれたわけだ。

会ってくれて良かったとも思うし、
ほんの少しでも彼女に何かしらを渡せたのならいいと思う。
それくらい、彼女の「可愛いなー可愛いなー」という言葉には、
美しいものを見る何かしらが宿っていた。

ぼくたちが誰かに何かを渡せるものは本当に少ないかもしれないけれど、
ぼくたちはそうやって誰かから何かを受け取り、また誰かに渡していく。