「最近の稲田さん、門前界隈に積極的に関わってますよね」とちらほら耳に入るようになった。
もうその通りなので何もいうことはないのだけど、
ぼくのことを以前から知っている人ほどちょっと不思議に思うみたいだ。
基本的に出不精で、見知らぬ人と会ったり、イベントやパーティーなどを苦痛として生きてきた人間なので、
「稲田になにがあったのか?」という気持ちになるのもわかるなあと思う。
ボンクラが立ち上がった二年くらい前から門前の動きがぼくにも分かるくらい活性化してきて、
「いったい何が起きているんだろう?」という気持ちは生まれていた。
それでもぼくは門前界隈の友人も少なく、傍観者としての立ち位置は特に揺るがなかった。
興味があるけど何もしないという感じ。
正確には「興味はあるけど何をすればいいのか分からない」感じ。
一番大きな転換期となったのは今年六月六日に行われたボンクラ・ゼミナールだった。
講師は東京R不動産の馬場正尊さん(Open A)。
さまざまなリノベーションを実現されてきた方なのだが、
正直ぼくは会場に行くまで知らなかった。
馬場さんのお話は全てが具体的でとても面白かった。
刺激を受けた建築関係者や学生はたくさんいたと思う。
でも、ぼくが一番びっくりしたのは「面白がっていいんだ!」という視点だった。
馬場さんの話の根底には「この案件、面白そうだ」という純粋な興味がいつもあるように思え、
リノベーションされた実例をプロジェクターに写すたびに「ね!いいでしょう!」と
目の引力を増しながら話す馬場さんの姿にびっくりした。
ぼくが傍観者であることは変わらないし、
これがぼくの特性であることに自分自身不満はない。
でも、傍観者でありつつ、今の門前の動きを面白がってもいいのかもしれないと思った。
ぼくは店舗経営者でもないし、建築関係者でもないし、人を魅了する表現者でもない。
ぼくはボンクラ・ゼミナールで馬場さんの話を聞くまで、
門前の動きとは「何かしらの表現者たちが中心となること」だと思っていた。
それはある程度の側面を持っているかもしれないけれど、
面白がるということで、門前に関わるという位置を持てるんだと思った。
コペルニクス的発想でいえば、
発信側だけに全ての価値があるのではなく、
受け手側にも価値創造の余地があるんだと思った。
ちょっとややこしい言い方ですね。
店舗経営者や建築関係者や表現者たちが何かを発信して完結なのではなく、
受け手側であるぼくは、発信されたものについて
「どういう受け取り方をするのか」「どう面白がるのか」ということで
新しい何かや価値の増大は生まれるのかもしれないと思ったのです。
「巻き込むことの重要性」はよく言われるキーワードだけど、
それだけだと発信側への傾きが大きい。
発信者側が半分、受け手側が半分。
発信して、受けて、それで初めて一つの完成が生まれるのだと。
ぼくはこういったことに全く無知なので
「そんなの当たり前じゃん」というようなことなのかもしれないけれど、
そう考えた時に初めて、門前が自分と関係のあることとして捉えられるようになった。
以前からお誘いを受けていたのにあまりピンときていなかったNgeneに寄稿することも
「ぼくが門前をどう面白がっているのか」の視点だったら書けるなあと思った。
ネオンホールの清水さんのロングインタビューもその一つで、
もうすぐ『信大からネオンホール編』が終わり、
『ネオンホールからナノグラフィカ編』
『ナノグラフィカから街並み編』を予定している(たぶん)。
ぼくが何をしたいのかよく分からなく(ぼくがそういう人間でないこともよく知っている)、
最初はおそらく戸惑っていたであろう清水さんも何となく理解してきてくれているみたいで(たぶん)
『ネオンホールからナノグラフィカ編』も楽しみですと言ってくださった。うれしかった。
『ネオンホールからナノグラフィカ編』ではいよいよ清水さんたちが
街にどう関わっていくのかのお話が聞けるんじゃないかとわくわくしている。
ぼくは基本的に人に臆病で高い壁を張りめぐらしている人間なのだけど、
「受け手側の立場からいまの門前を楽しんでみよう」という視点を得ることで自由になった。
だいいち、楽しい。
街に知り合いが増えて、興味あることがらが日々の中にあることが楽しい。
ちょっとだけ知り合った音楽家がいまはどこで歌っているんだろうとか、
ふだんなら行かないであろう大学生の駅前ライブに顔を出すとか、
好きな人の作品や活躍を少しだけ近いところで見てとれるとか。
「ぼくは今、そんな風に人と街に関わろうとしているんですよ」という
いろんな人に向けた私信のようなコラムでした。



