2011年8月11日木曜日

>駅前をめぐる冒険(シンカイボーイズ小林君)

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長野市門前の使われなくなった古い民家(旧シンカイ金物店)を借りて、
自分たちで改修し共同生活を始めた二人組の信大生。
シンカイボーイズの二人(小林君と白石君)については
長野県の技能五輪サイト『wazacan』でも書いたことがあるのだけど、
彼らの特異なところは人と触れあうことのフラットな積極性にあると思う。

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自我との葛藤の時代である二十代前半にこんなにフラットに、
かつ積極的に人と関われる若者は見たことがなかった。
少なくともぼくはそうじゃなかった。
実力以上に自分を大きく見せようとしたり、必要以上に卑小になってしまう「自我の檻」があって、
人と関わり合うことに制限をかけてしまう。
ぼくはそんな二十代だった。

でも、二人にはほとんどそんな檻を見受けられない。
自我の模索はひしひしと感じるけれど、自分を閉じ込める檻は見えない。
檻などなく、模索のために平野を見つめ、草をかきわけ、出会うもの一つ一つに視線を向けているように思える。
旅人が異国の道を歩くように。

シンカイボーイズの二人が駅前で一緒に演奏をしていることは伝え聞いていたのだけど、
そのときは楽しそうでいいなと思っていたくらいだった。
今回、小林君が思うところがあって、一人で駅前で路上ライブをするという話を知った。
そのことを決断した彼のブログがとてもよかった。

何か行動を起こすときの目的や思いは人それぞれでいいとぼくは思っている。
彼がブログで書いた、東北へ行くための資金にすることや、イベントに参加することも
ぼくにとっては「おお、がんばれよ」という事柄だ。
ぼくも宮城県に被災地の手伝いに行ったけれど、それはぼくのために行ったのであり、彼は彼の考えで行く。
小林君が大切に思っていることをブログで知り、認識し、尊重する。できれば応援する。
それ以上でも以下でもない。

ぼくが彼の行動に興味を持ち、足を運ぼうと思ったのは、
駅前での路上ライブについて彼がブログで
不安を率直に口にしていたからだ。
『不安と自信のなさにつぶされそうになります』と書き、
『これをやらなかったら僕は絶対に一生グチグチ文句を垂れて「やっとけばよかった」と嘆くんだと思います。だったらやるしかない』と書いていた。

誰もが思うことだし、誰もが経験することだ。
そして彼は「やる」と決めた。
「やらなかった」ことが多すぎるぼくは、やると決めた人を見てみたかった。
駅前で路上ライブということだけ捉えてみれば、ぼくは興味を引かなかったかもしれない。

八月十日二十二時に長野駅前に足を運ぶと小林君がD&DEPARTMENTの男子と並んで歌っていた。瀧内さんもいた。
二人が帰り、何十人もの人たちが急ぎ足で小林君の前を通り過ぎ、ときおり騒ぎ声が上がり、警察官が見回りにくる。
夜の駅前によくある風景。

小林君は二、三十曲を歌い、自作の歌も歌った。
気のいい若い二人組がモンゴル800の『あなたに』をもう一度歌ってくれとリクエストをし、
サム雷(サムライ)という北信に住む外国人といくつかセッションをした。

久しぶりの夜の街はどこかよそよそしくて、猥雑で、楽しくて、不安で、
見知らぬ人が沢山通り過ぎて、孤独で、出会いがある。
旅と一緒だ。

互いに何かを伝え合おうと、
曲の合間に言葉を交わし合う小林君とサム雷の姿は
旅と一緒だ。

小林君がこれからどんな時を駅前で、東北への旅で過ごすのかはまるで分からないけれど、
分からないこと、見たことないこと、会ったことがない人、したことないこと、
そんな未知のかたまりの指先に触れられたようでぼくも嬉しかった。

いってらっしゃい。





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