2011年7月13日水曜日

清水隆史ロングインタビュー 信大からネオンホール編(二/五)

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※前回までのあらすじ。
友人の兄に聴かされた信大生のフォークソングに惹かれ、信大教育学部を受験した清水さんが松本にやってきた。

稲田  それで信大に入ったと。
     どうでしたか? 実際に松本に行ってみて。
清水  よかったですよ。
     歌の中の世界に入ったとまでは思わなかったけれど、
     歌をキッカケに妄想したから信州に来たという気持ちは今でも残っていて。
     今もあの頃に描いた松本像というか信州像が頭の中にあって、
     冬なんかにフッとそこにいる自分に気付いて感動したりしますね。

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稲田  へえー(生粋の信州飯山生まれなのでその感慨は新鮮)。
     そういえば、高校時代のバンドではどんな音楽をやったんですか。
     フォークバンドだったんですか?
清水  ううん。好みというより出来ることをやったから。
     ボーカルの奴がやりたがったからBOØWYとかやった。
稲田  うわー、時代ですね。
清水  なんでもいいからステージの上に立って弾ければいいみたいな。
     あ! でも、一曲だけ自分は信大生が作った歌をやった。
稲田  マジですか! (爆笑)
清水  自分が歌ったよ。ベースからギターにかえて。
稲田  (笑) 絶対反応ないでしょう。
清水  いやー...ウケたよ、多分。
     そのときのバンドは学祭で一回しかやらなかったんだけど、結構モテた気がする。
稲田  いいなー。
     それで信大では軽音楽部に入るんですね?
清水  そう。今でもありますよ。同じ場所にボックスもあって。
     今では仕事の撮影で行ったりしてますよ。JBNさんのお仕事とかで。
稲田  お世話になっております(笑)。
清水  あ、違った...。あれは代理店さんの仕事だった。
稲田  ははは。
清水  それで、美術研究会ってのにも入って。
     自分はそっちがメインだったんです。一応部長だった。
稲田  (高校のときと同じような動きしているなぁ)
     美術研究会ってなにやるんですか?
清水  絵を描くんです。
稲田  ああ。好きなんですねー。
清水  でも、そのときの美研って変な人ばっかりで。
     絵を描かない人がいっぱい入って。先輩とかは怒ってたけれど。
     インスタレーションするとか、パフォーマンスするとか。
     演劇やる人とかもわんさか入ってきて。カオスみたいになってた。
     自分も美研のなかでバンド組んだりした。
稲田  ふーん。
     そういえば、大学では演劇にどう関わっていたんですか?
清水  学外と関わりのある学内の劇団、みたいなところに入ってました。
     演劇をやっている人をボーカルにしたバンドをやってみたいって
     高校の終わりくらいから思ってたんですよ。
稲田  ほほう。
清水  不条理芝居をやっているようなちょとおかしいような人をボーカルにして
     パフォーマンスをやるようなバンドをしてみたかったんですよ。
稲田  ぼくはミドリってバンドが好きだったんですけど、あんな感じ?
清水  もっとおどろおどろしい感じというか...。
     「お病気シアター・リュウマチ」っていう名前の劇団に入って、
     そこの人を誘ってバンドを作りましたよ。ヒエラルキーってバンド。
     そこの若手では看板的だった女優の子をくどいて。
稲田  その子も信大?
清水  信大。
稲田  出来はどうだったんですか?
清水  けっこう面白かった。多分、まわりの人々からは評価されて、
     ローカルのテレビに出たりしましたよ。
     コンテストで入賞したりとか。
稲田  へえー。
清水  演奏は普通なんだけど。やってることが変わってたんですね。
     ステージで磔(はりつけ)にして動けないやつに歌わせるとか。
     全員で包帯巻いてステージに立つとか。
     ボーカルの奴は筋金入りで、今でも松本の「経帷子(きょうかたびら)」という劇団でやってますよ。
稲田  今でも?
清水  うん。五月のあがたの森のクラフトフェアでは白塗りして舞踏してました。
     舞沢智子っていって、(長野のアングラ劇団である)カフェシアターの舞台にも出てたりしてます。
     彼女が寺山修二とか唐十郎とか詳しくて、
     バンドに誘ったら逆に彼女から色々と仕込まれた感じ。
稲田  あ、そうなんだ!
清水  「清水くん、寺山とか知らないんじゃだめだよ」って感じで。
     そういうのをやってる劇団を一緒に観にいったりして、「ああ、最高だね」ってやってた。
稲田  へえ。
清水  で、バンドもこういうのやろうよって。
     曲中にドラマが始まったり、8ミリフィルムの映像と合わせて演奏したりとか。
     ステージにむやみに石膏像を置いたりとか。
     そういう演劇的なことをいっぱいやってた。
稲田  それ大学何年生くらいですか?
清水  一、二年くらいかな。
稲田  突っ走りますねー!
清水  そう...かなあ?
稲田  それって、中学や高校時代に
     「おれ、こういうことやりたいけど周りに合う奴いないし、チクショー」みたいな?
清水  うん。大爆発して。
稲田  (笑)
清水  したい放題してた。
     メンバーでボディペイントして松本市内を練り歩くとか。
     白塗りして中原中也を松本パルコの前で朗読するとか。
稲田  いやだなぁ(笑)。
     信大ってそういう変な人ばかり集まるんですか。
清水  常にそういう人ってどこにでもいるんじゃないですか。
稲田  そうかなあ。
     そういう人として中学高校のときはどう過ごしていたの?
清水  妄想してた。田舎の高校生だったから。
     月に一回大阪に行って、レコード屋を漁って分からないなりに聴いて妄想したりとか。
     それで大学に入って一気に行動力がついて自由になった。
稲田  清水さんて信大の教育学部でしょ?
     松本で一年やって、二年からは長野だよね。
清水  うん。でも、留年したしね。
稲田  敢えて?
清水  うーん、演劇と音楽で忙しかったし、まあいいかって感じでしたね。
     当時はバブルだったので周りも余裕な雰囲気だったし。
     松本での二年は音楽とか演劇を思う存分やった。
稲田  それで進級して長野に行くんですよね。
     そこでも音楽や演劇をやったの?
清水  長野は規模としても小さいし、先生になるための勉強が忙しかった。
     松本みたいに人が多くなくて、やりにくかったです。
稲田  そうえば、清水さんは何で教育学部に入ろうって思ったの?
清水  祖父が教師で、先生になるのがいいかなーって思ってた。
稲田  ふーん。それじゃあ、大学生のころはいずれ先生になるだろうなって?
清水  迷ってた。
     何となくアーティストになりたい!って思ってたんだけど。
     アーティストって何かも分からずに。絵を描きたいとか、音楽がしたいとか。
     表現することを生活の糧にしたいと思ってたんだけど、どうしたらいいか分からないし、
     どう動けば仕事になることに近づけるのかも分からなくて、
     見本になる人もいなかったから、具体的な術がわからなかった。
稲田  うん。
清水  でも、学校が好きだったから。小中高と。
     小学校か高校の先生もいいかなーって迷ってた。
稲田  え! 好きだったんだ。
清水  うん。大好きだった。
     小中高の卒業間際の三学期になってくると朝早く学校に行くんですよ。
稲田  もっといっぱいいたいから?
清水  うん。一日一時間多くいれると、一週間で六時間増えるよっていうくらい。
     受験勉強も学校の図書館に行ってやって、後輩と会ったりするとか。
稲田  そうなんだー。すごく意外。
     ぼくはてっきり、変わった趣味の人同士で固まっていた学生時代かと思っていましたよ。
清水  いやー。そういうんじゃなかったな。
     ヘンなものは好きだったけど、自分のいる環境を愛そうとする癖があるんですね。
     きっと同じですよ、今、自分の街が好きっていって、そういう活動につながってるのと。
稲田  ああ、なるほど!
     そういうのはどういう資質で始まるんですか。
清水  分かんない。
     性格じゃないかな。
稲田  へえー。
     ぼくはそういう「自分の街を愛する」という気持ちを
     リアルに知るようになったのが本当にこの一、二年なので、
     清水さんが自分の性格として身につけてこられたとういうのが想像できないんです。
     スイカを食べたことがない人にスイカの味を想像できないように。
清水  分からない人には分からないのかもしれませんね。
稲田  ここの一、二年でなんとなくスイカという物の存在を知って、
     興味を持ち始めているっていう感じなんですけど。
清水  自分はスイカからのスタートだから。
     なんで信大の人たちが作った歌が好きになったのかも分からないし、
     同じころに実家のそばにある超小さいライブハウスのアマチュアバンドが大好きだったとか、
     高校時代の友だちのバンドが好きとか、学生の8mm映画が好きで今もビデオを見返したりしてるとか。
     元々は根っからのアマチュア好きなんですよ。
稲田  へえー。
清水  今はけっこう違うけどね。元々はそうで。
     足りない環境で頑張ってやってる表現が好きで。
     上から目線とかじゃなくて、多分すごく共感するんですよ。
     裏返せばメジャー嫌いというか。
稲田  学校の先生に向いている気がしないでもないですね。
清水  テレビとか大嫌いで、
     顔の見える人が顔の見える人に対してやっていることが好きだったんです。
稲田  うーん、なるほど。
     それで、充実の松本キャンパスから勉強が厳しい長野に移りますよね。
     長野では音楽とか演劇とかどうしてたんですか?
清水  だから、長野でネオンホールをやったんですよ。
稲田  あ! そういうことになるんだ。
清水  うん。松本にいたらやらなかった。
     そういう場がないから自分で作ろうって。

(ロングインタビュー 信大からネオンホール編 つづく)


歌の世界
信州大学児童文化研究会の腰原仁志さんらが1980年代半ばに作った一連の曲を指す。(清水)

信大軽音楽部
その名の通り、信州大学の軽音楽部。
webサイトによると「部員は50人を超す信大内軽音サークルの中でも大所帯を持つモンスターサークル!」とある。
そうなのか。
ネオンホールのライブに行くと「ビートルズ研究会」のバンドをよく目にするが、
当時は演奏活動を行うサークルではなかった。(この二行、清水)
そういえば、7月17日のイベント「スーパーネオンホール'11 サマー」に出演する
ゴーグルエースは信大軽音楽部出身である。

舞沢智子
学生時代に清水らとヒエラルキーというバンドを結成、
当時の名前は「竜マチ子」。
1990年代から現在に至るまで松本市を中心に演劇活動を行っている。
「お病気シアターリュウマチ」「劇団ちまうり」
「演劇実験室経帷子」「演劇実験室カフェシアター」などに出演。(清水)

演劇実験室 経帷子
松本市を拠点に活動する劇団。寺山修司など、いわゆるアングラ演劇を制作している。
市内の劇場での公演の他、街頭でのパフォーマンスも行う。(清水)

演劇実験室カフェシアター
70年代前半に寺山修二率いる「演劇実験室 天井桟敷」に入団された中沢清さんが、
長野に戻って家業を継ぎながら旗揚げした劇団。
フリーペーパー『日和』に清水さんが連載している「ナガノスタイル」72号に詳しい。
清水さんの筆致を抑えながらも、中沢さんの「アングラ魂」に気持ちが熱くなっている文章が読めます。

※(清水)表記は清水さんが注釈してくれたもの


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