2013年3月12日火曜日

児童文学ことはじめ その一


ぼくは本が好きだ。漫画も愛している。映画も落語も音楽も好きだ。
今年からそこに児童文学が入ることになる。

きっかけは友人に「絵本や児童書は大人が読んでも面白いんだよ」と教えてもらったことだった。
最初に聞いたときは「ああ、児童書いいよね。ぼくも好きだったよ」と応じていた。

寺村輝夫の『王さまシリーズ』は大好きだったし、家には小学館の『国際版 少年少女世界文学全集』があったのであらかた読んでいた。宝島、王子とこじき、トム・ソーヤーの冒険、ガリバー旅行記、八十日間世界一周といった冒険物も好きだったけれど、特にぼくは『パール街の少年たち』や『若草物語』、『愛の四姉妹』、『クオレ』、『ゆうかんな船長』のような人間の尊厳が描かれている成長物語が(今思うと)好きだった。(さらに今思うと下村湖人の『次郎物語』も好きだった。教養児童小説が好きだったのかもしれない)

だけど、なんといってもぼくの黄金の書は『ロビンソン・クルーソー』だった。ほぼ主人公一人しか登場しない物語。無人島に漂流し、絶望し、創意工夫しては挫折し、またやり直し、生活を作り、孤独にうちひしがれ、インコに話しかける主人公にぼくは夢中になった。何度も何度も読んだ。何度読んでもウミガメのスープはとっても美味しそうだった。果物をしぼった湧き水も。

そんな風に児童書を読んでいたぼくにとって「絵本や児童書は大人が読んでも面白いんだよ」と言われることは「ああ、面白いよね児童書って。ぼくもよく読んでいたよ」と返すような事柄だった。ぼくにとって児童書は「終わったこと」であり、今のぼくと関係のあることと思えなかったのだ。

そんなある日、古本屋で何気なく児童書コーナーを眺めているとあるタイトルが目にとまった。
『二分間の冒険』
そう題された本を手に取ると表紙には不気味な一つ目の怪物が描かれており、刀を持って対峙している男の子と女の子が背中を向けて立っていた。
何かがひっかかる。何かが異質だ。
子ども向けではあるのだけど、それと同時に見る者を魅了する何かがあるような気がした。
ぼくはその本を買って友人に「これ気になったから買ってみたよ」と渡してみた。友人は「ああ、岡田淳じゃん!この人は本当に面白いんだよ!」と目を輝かせて本を受け取った。そこにはぼくの注意を引く何かがあった。森の奥向こうで何かがきらりと光ったように。

結論をいうと、ぼくは岡田淳を皮切りに児童文学にぐんぐん引き込まれていく。

およそ四半世紀前に自分から遠ざかった児童文学は、ぼくがSFやミステリーや恋愛小説や歴史小説やノンフィクションを読んでいる間もこつこつと作品を生み出していた。今、ぼくの目の前には大きくて豊かな鉱脈がある。出会ったことのない登場人物、見たことのない景色、触れたことのない物語がある。ぼくはわくわくしている。心の底から。

次回は岡田淳の傑作物語『こそあどの森』シリーズの面白さについて熱く語ります。

(つづく)


2013年2月5日火曜日

マフラーのように。


深夜、帰宅したら一枚の葉書が届いていた。
まだお会いしたことのない友人、
デザイナーの小林真紀子さんからの寒中見舞いでした。

肉厚でちょっとクリーム色かかった紙にマフラーのイラストが大きく描かれ、
裏には万年筆のような青いペンで丁寧に書かれたシンプルなメッセージ。

立春でも夜はまだ寒く、
家族も寝静まった家は冷え切っていたのだけれど、
ぼくはとってもうれしくなった。

なんていえばいいんだろう。
思いがけない贈りものみたいな。

ちょうど読んでいた吉田聡の傑作自伝漫画『七月の骨』五巻にあった
「漫画を描くのは読んでくれた人に自分の時間を差し出すことだ。贈り物のように」
という台詞を思い出した。

ぼくは小林さんとtwitterやfacebookでしかお話したことがないのだけど、
深夜にぼくの手の中にあった葉書はとっても近しいものだった。

きっと小林さんは家族やお子さんが寝静まってからの自分の大切な時間を使って
デザインを考えたり、紙を選んだり、試し刷りしたり、せっせと文を書いてくれたのだ。
丁寧に。
ちょっとわくわくして。

小林さんの日々の暮らしのいくつかの時間。
この葉書はそれらを編んで紡いで生まれたんだろう。
少しずつ、丁寧に。
あたたかいマフラーのように。

「こんな葉書をもらったよ。いいでしょう」と上司(四十代女性)に見せたときに
「わーいいね。友だち?」とたずねられ、
ぼくは「うん。友だち。まだ会ったことないけど」と答えた。

まだお会いしたことないけれど、
ぼくは小林さんのことを友だちと思おう。
だって、きっと小林さんだってそう思っているもんな。

そんな風に思った一枚の葉書でした。
小林さん、ありがとう。
ぼくも書きたくなりました。




小林さんのサイトはこちらです。
http://www.h-cozuchi.com/


2013年1月21日月曜日

母親とこたつでこんな話、しないものな。

昨日の日曜日は飯山の実家で今季最初の雪下ろしでした。
豪雪地帯の人はわかると思うのだけど、雪下ろしのときはいろんな話が出る。
基本、単純労働だからね。
六十を超えた母と雪下ろしをしていると、なぜかぼくの子育てについての話になった。

ぼくは習い事にも興味がないし、
子どもにあれれこれ言うこともほとんどない。
宿題やらなくたって自分の責任だし、
ぼくは本が好きだけど子どもに本を読めと一度も言ったことがない。

「子育てについては特にないなあ」というと、
そんなことはないだろうと母が雪をシャベルで下ろしながら言うので「うーん」と考え込む。

八歳、七歳、三歳の子どもがいるけれど、
唯一続いていることは『いいな』と思ったらすぐ口に出すことだ。

食卓についたら「箸が上手になったなあ」とか、「こぼさなくなったね」とか、
「いっぱい食べれるようになったなあ」とか毎回言っている。

子どもが服を着替えたら、「着替えるの上手になったなあ」とか、
「服の組み合わせのセンスがいいよね」とか言ってる。

遊びで絵を描いていたら、「色づかいがいいよなあ」とか、
「人の捉え方がうまい」とか言ってる。

遊びで詩を書いていたら、「この発想はすごい」とか、
「全体のリズムがいい」とか言ってる。

母親の前でもいつもやっているから、
「お前は本当に親バカだ」と言われるけれど、
あれは意識して『いいと思ったらすぐ口に出す』ようにしているから、
それが子育てと言えば子育てかなぁと答えた。

雪と格闘している母はそれを聞いて、
「それは何のためにやっているのだ」と尋ねてきて、
ぼくはまたうーんと考え込んだ。

『何のために』という目的性はほぼない。
例えばそうした方が子どもの情緒教育によいとか、
そういうデータを探せばあるかもしれないけれど興味がない。

『何のために』とか、『子どものために』という視点を
子どもに対して持ち込みたくないという気分がぼくにはとても強い。
そういう風に子どもと接したくないという気分が根拠もなく強くある。
なぜかは知らない。気分だ。

それでも答えを待つ母に(しつこいのだ)、長考の末、
「それはたぶん、自分は生きてきて良かったんだと思ってほしいからだと思う」と答えた。

ああ、と母は納得したような感じでその話は終わった。

ここから先はぼくが文章化しておこうと思ったので書いておく。
(ぼくは文章化しないと自分の考えがまとまらないのだ)

八歳、七歳、三歳の子どもたちはこれから順当に挫折を味わうんだろうなーと思っている。
自分が実は世界の中心にいないのだということを実感したり、
仲間はずれにあったり、いじめられたり、いじめたり、
自分が思ったより嫌なやつだということを知ったり、
嘘をついたり、人を裏切ったり、才能のなさを知ったり。

自分もそうやって生きてきたし、今だってそうだ。
でも、どんなに自分で自分をくだらないと思っても、
他者にお前なんか生きる価値もないと言われても、
最後の最後で、「この世に生を受けて良かったんだ、ここにいていいんだ」と
うっすらとでいいから思ってほしい。

それは何というか、子育てというよりも、
親としての存在意義のような感じとして。

食べて、寝て、大きくなって、友だちができて、
一人で生きていけるようになるまで共に暮らすことが親の役割だとしたら、
その生活のなかで「自分はここにいていいんだ」と信じるに足る気分を持ってもらえたら、
親としてのぼくはそれ以上のことはない。
そこから先は自分でやっていくのを、一番近い他者として見ていたいという気持ちがある。

雪下ろしは大きらいだけど、思いがけず母親とこんな会話を交わす効能もある。
母親とこたつでこんな話、しないものな。




2013年1月10日木曜日

通奏低音のように。

昨夜遅くに新聞記者の方に「原発事故以後で生活が変わったことがありますか?」と取材的に聞かれ、はたと困った。
友人と語り合ったり、デモに参加したり、講演会に足を運ぶようになったが、それはぼくにとっては結果に過ぎなくて。

おそらく記者の方が望んでいるような回答ではないかもしれないけれど、「原発が崩壊していることが暮らしの一部となったこと」がぼくにとっての最大の変化だ。
それはぼくの名前が稲田英資であるように、朝おきたらベッドから出るように、それだけ取り出しすわけにもいかないし、なかったことにもできない。

さまざまなことがらの積み重ねを暮らしというのならば、東京電力原発事故以後、ぼくの、家族の、友人の、日本中の暮らしが「原発が崩壊していること」を基盤として成立するようになった。
ぼくたちが毎日寝たり起きたり、笑ったり泣いたり、人を好きになったり愛しさで胸がいっぱいになったり、音楽や映画に感動したりしている暮らしの足元をふと見ると、そこにはいつでも離れることなく「原発が崩壊していること」が横たわっている。それはどんなときでも消え去ることがない。通奏低音のように。

それがぼくにとっての東京電力原発事故の以前・以後だ。

この通奏低音はたくさんのことをぼくに思い起こさせる。
原発事故が収束していないこと、一年半もたった今も避難所生活している方たちがいること、事故現場で収束を目指している方々のこと、除染作業に関わる現場の人たちと発注側の格差のような復興システムのいかがわしさ、政治や経済・産業システムのいかがわしさ、戦後六十年かけて作り上げてきた日本人の価値観、日本人が衆議院選挙で選択した結果、まるで「もう終わったことさ」のような日本の雰囲気について、これからの・今のエネルギーについて、デモに参加することについて、友人と語り合うことについて、食べ物について、子どもについて、十代の友人たちのフラットな疑問と怒りについて、マブソン青眼さんの怒りについて。ぼくが共犯者であることについて。

これらは全て、事故以前はなかった。
あったけれど見ないふりをしていたこともあるし、まるでなかったこともある。

でも、今は毎日どんな暮らしをしていようとも低音部の旋律が流れ続けている。
ぼくは考えなくてはいけない。思い起こされることについて。見えてしまったことについて。
いつかは慣れてしまうんだろうかと恐れながら。
そしてときおり声をあげたり、デモに参加したり、友人と話したり、もういやになったり、憤ったり、悲しくなったりしている。

もしそれを生き方というのならば、生き方が変わったのだ。
たとえ具体的な変化・アクションがなかったとしても。好まざるにせよ。

「原発事故以後で生活が変わったことがありますか?」の問いから、ぼくはずっと考え続けている。

2012年12月25日火曜日

八百年前から歌っていること。


夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢

何気なく開いたサイトの片隅の名言欄にこんな和歌が載ってた。
詠み手は小笠原長行で明治の辞世の句。
恥ずかしながら何を成した人か知らないけれど、
『ただ狂え』のように人は何百年も前から同じことを歌ってるんだと思った。
生きるって何だろうって。

*    *    *    *    *

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

そういえばずっと気になっている詠み人しらずのこの歌は
室町時代の『閑吟集』によるそうなのですが(読んだことがない)、
その序文がまた素晴らしかったです。
以下紹介サイト『風薫る道』から。

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(引用始)
編者は序文で自らを「ここに一狂客あり」といい、本名を明かしていません。
この序文がまた美しい。
「小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。
風行き雨施すは、天地の小歌なり。
流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり」
「命にまかせ、時しも秋の蛍に語らひて、月をしるべに記すことしかり」
(引用終)
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自分と世界とをフラットに捉えている八百年前の日本人に
今のぼくがとても共感するのが不思議でもあり、心地よかったり。
歌と風や水や落葉は同じものだという視点をもつ編者、
小さな世界にとどまることなく「狂え」という振り切った表現にたどり着く詠み手。
どちらも素晴らしい。

十二月二十一日にネオンホールでおおはた雄一さんのライブがあり、
とっても素晴らしかったのですが、
おおはたさんのライブでぼくがいつも密かに楽しみにしている曲が
かまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』です。

この曲は本当にかっこよくて
かまやつひろしもおおはたさんもどちらも素晴らしいのですが、
今日たまたま『閑吟集』について考えているときに
そういえばと『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の歌詞を思い出しました。

こんな歌詞です。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう

人は何百年も前から同じことを歌っている。
小笠原長行の辞世句から閑吟集を渡り、かまやつひろしへ。
人は愚かなことを繰り返して、愚かなままに生を歌っている。
良くも悪くも。
そんな当たり前のことを思う日。
でも、今日はいい日だ。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』
https://www.youtube.com/watch?v=O2VP_FMjUAk

2012年12月18日火曜日

絶望するにはまだ早い。


十二月の衆議院選挙について書き残しておこうと思います。

テレビの報道番組で自民圧勝の数字を見た瞬間、スッと血の気が引いて視野が暗くなるのが分かりました。ああ、人間は理解しがたい怒りに陥ると本当に血の気って引くんだと妙に納得している自分がいました。
予想はしていたとはいえ、やはりショックでした。ぼくが暮らすこの国は辛い経験から教訓を得て前に進もうとするのではなく、辛いことはまるでなかったかのようにする社会なのだろうかと。

でも、ぼくは一つのことを思い出していました。
選挙前からぼくの周りで十代の友人たちが「選挙権がなくて悔しい」と発言していたことを。それはぼくにとって大きな驚きでした。ぼくは十代のときにそんな風に考えられなかったし、そんな風に考えられる人たちが生まれつつあるんだと。
主義主張で政治に参加したいのではなく、今の状況をフラットな視点で見て、「これはおかしいんじゃないか」と思う十代たち。ぼくは今回の選挙結果やそれを支えた団塊の世代たちに絶望してしまったけれど、その絶望を今の十代に引き継がせちゃいけないんじゃないだろうか。絶望するにはまだ早いんだと。

そんなことを考えて眠れない選挙当日の夜に、十五歳の友人からメールが届きました。彼女も憤りで眠れないらしく、ぼくたちは深夜のメールを交わしました。本人から許可を得てメール内容を掲載します。メールの内容よりも、こんな風に思っている十代(きっと少数派だろうけど)の空気感が伝わるといいなと思います。今の社会は十代からはこんな風にも見えたりするのだと。

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十五歳:稲田さーーーん!(泣)

稲田  :どうした?

十五歳:もう選挙終わっちゃったけど、選挙権欲しいっす。

稲田  :だよねー。気持ち、とってもよく分かるよ。
ぼくも今回の結果は呆然とするくらいショックでした。

十五歳:私もですー!十五の子どもがあまり偉そうに言えないですけど…原発のことも憲法のことも、国民投票とかで政策がそのまま実行されないとは思うんですけど…。
でも、ああいう政策がスタンスな政党が与党になっちゃうのが嫌なんですー!地震あってからまだ二年もたってないのに、何で自民党圧勝なんですかねー。

稲田  :ぼくも全く君と同じ考えです。東日本大震災から初めての衆議院選挙なので、国民としても「これからぼくたちはどう生きていくのか?」の意思表示をする選挙だったのです。原発であったり、税金の使い方だったり。
それが、今回の自民圧勝から伝わってくることは、この国の人々は「被災地のことより雇用や経済効果を、原発の問題より自分たちや企業が安価に使える発電システム」を選択したということです。信じられない。いったい、あの震災から何を学んだのかと呆然としました。
でも、唯一の救いは君のような十代の人たちから「これはおかしいんじゃないか」「選挙権がなくて悔しい」という声がちらほらと聞こえてくることです。
ぼくたち選挙権を持っている世代は君たちが二十歳になるまでにせめて今よりましな社会環境に整え、君たちを迎え入れることが大切だと思いました。こんな現状にうんざりするかもしれないけれど、選挙権を得る日まで社会に絶望しないでね。ぼくたちもがんばります。

十五歳:絶望はしませんよ。ただ、堂々と反論できる知識と力を早くつけたいと思いました。んー、復興にもお金が必要なのは確かですけど、経済の「成長」よりももっと急がなきゃいけなかったり、大事にしなきゃいけないものがあるのに…。
自民党を支持した人の半数が望んでいる「景気の回復」っていうのは、震災のことを考えると、冷たい空気を感じるし、本当の豊かさではない気がします。

稲田  :うん。君の考えに同意します。ぼくも今回の自民圧勝で感じたことは、「震災者の救済よりも原発よりも経済成長と景気回復」という余りにも狭窄的で自分勝手な考え方でした。
それは震災から何も学んでいないし、グローバル化以降問われている「本当の豊かさ」という価値観についても今回の選挙で何も提示できていません。それよりも旧態依然とした価値観にまだ大人たちがしがみつくという怖さがぼくには感じられました。もしかしたら君も同じような違和感や気持ち悪さを感じているのかもしれません。

十五歳:すっごい感じます!名詞としては経済「成長」ですけど、退化に感じます。それに知識不足なので理由や根拠はありませんが、もう向かうべきところは、そこじゃない気がするんです。

稲田  :うん。君の言ってることはすごくよく分かります。君の言葉からも考えるヒントをたくさんもらいました。ありがとう。
東日本大震災と今回の選挙で「このままじゃいけないんじゃないか」と考え始めた人が沢山いるのだと思います。年齢や社会的役割と関係なく。君のように。ぼくはそういった人たちとできるだけ会って、話をして、これからの自分の考え方を定めていきたいと思っています。今日はありがとう。おやすみなさい。明日、学校で寝て怒られませんように。笑

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選挙当日の夜、一億三千万分の二同士の三十八歳と十五歳がこんなメールを交わしていました。
もしかしたら日本のあちこちでひっそりと同じような会話が交わされていたのかもしれません。

投票する人の平均年齢は五十代だそうです。そして投票する人は有権者の五十パーセント。どれだけ若年層不在かがよく分かります。投票なんかしたって何も変わらないよと思ってしまいがちですが、こんな風に「おかしいんじゃないか?」と考えている十代たちもいて。

もし、ぼくたちが「やっぱり選挙なんかしたって何も変わらないよ」と思ってしまえば、その負の遺産を彼らに引き渡すことになるんだと今回の選挙で気づきました。二大政党制でないと民意が反映されがたい小選挙区制度といった現行システムの問題点もありますが、「何も変わらないよ」と何十年も続く負の遺産をぼくたちで止めることは大切な役割なんだと。もう、そろそろ変わってもいいですよね?

2012年12月14日金曜日

まずはそこから生きていく。


こんなにドキドキしながら迎える選挙は初めてで、正直いって日曜日を迎えるのが怖い。
もちろん選挙の選択は自由だし、人それぞれであるべきなのは承知な上で、結果によっては日本という正体のない集合体に心から失望しそうで怖い。

東日本大震災でまだ三十二万人の方が避難生活をしている。あれから一年半たったのに。まだ仮説住宅や親戚・知人宅、公民館で暮らしている方が三十二万人もいる。その中には原発事故で家を追われ、恐らく生涯において我が家に帰れない人もいる。

自宅に家族で住めてはいても、本当に子どもは健やかに育つのか、子どもに与えている食べ物は本当に健康を損なわないのか判らないまま不安を抱えて暮らしている方たちがいる。

何も終わっていないし、ぼくたちはまだ何も決めていない。東日本大震災を経て、これからぼくたちはこう生きていくんだという旗を揚げていない。一年半も経ったのに。あんなに辛い思いをしたのに。

ぼくは原子力発電に反対です。
まずはそこから生きていく。